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逸見英夫(へんみ・ひでお)さん(72歳) 郷土史を研究続けて約50年。郷土市研究の第一人者逸見英夫さんは、歴史的町名等活用推進委員会の副委員長で、歴史的町名ハンドブック編集部会長でもありました。 |
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藩政時代の町名は
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Q.仙台市の歴史的町名は、そもそも伊達政宗公が仙台開府と共に生まれたのでしょうか?
<逸見> 町名はいくつかの歴史の転換にともない変化しましたが、1601年(慶長6)の伊達政宗公による仙台開府により城下町が生まれたことから始まったといってよいでしょう。
城下町の基本設計をしたのは金森内膳(かなもり・ないぜん)。会津藩主の蒲生氏郷のもとでヨーロッパの都市作りを学んだ人で、蒲生家がとりつぶされた後に政宗公が登用したのです。彼は、仙台城の山上から榴岡へ向かって東西の線を、愛宕神社から北山へ向かって南北の線を引き、その間に碁盤の目のように道路を作って街割をし、ヨーロッパ的な街を形成しようとしました。ですから、地形による例外はありますが、整然とした街割りの町だったようです。
町名は仙台藩の繁栄と共に増えていきました。1627年(寛永4)には政宗公晩年の居城・若林城が造営され、若林城下町ができ仙台城下は拡大していきます。1671年(寛文11)、伊達家のお家騒動として有名な寛文事件で一部町名も変わったりしています。しかし、仙台は順調に発展を続け、藩政時代中期には100前後、末期には300以上町があったといわれています。町の発展と共に「仙台七坂(せんだいななさか)」「仙台八小路(せんだいやこうじ)」のような数で表わされる名称も生まれています(※別表2)。
「丁」は侍、「町」は
町民や足軽、職人が住むQ.町名の付け方に法則はあったのでしょうか?
<逸見> 他の城下町同様、近世の厳格な身分制度に基づき、侍屋敷(武家居住区)と町屋敷(町人居住区)に分けていました。
そして、町境には「丁切」という木戸が設けられていたのです。特徴的なのは、侍屋敷の街区には「丁」を、町屋敷や足軽、職人の街区には「町」を用いた名称を付けていたことです。
片平丁には上級武士が住んでいましたし、東一番丁、東二番丁には中級武士が軒を連ねていました。町人町は大町や肴町、足軽町の三百人町や成田町、職人町の石垣町、弓ノ町などがありました。
Q.丁と町とで区別したというのはおもしろいですね。その他に町の名前の付け方で、どんな特徴がありましたか?
<逸見> 仙台城下には、町や寺の名前に「通」が付くさまざまな町名がありました。これは、その町に通ずる道であったことから付けられたもの。例えば、柳町通は柳町に通ずる道、定禅寺通は伊達家の鎮護寺だった定禅寺の門前に通ずる道だったことをあらわしています。
Q.生粋の仙台っこ以外には「これはなんと読むのかしら?」という町名もありますね。
<逸見> 地元の方以外には、人名や地形に由来する町名は読み方が少し難しいかも知れません。神子町は朝日神子という巫女の名前に、外記丁は政宗の家臣斎藤外記に由来します。琵琶首町は広瀬川の湾曲によってできた地形が琵琶の首の形に似ていたことから付いたとも、牛(びや)が住んでいたことから付いたともいわれています。牛を古語ではびやと発音したのです。
独特の発音の町名は、
よそ者を区別するためQ.国分町を「こっぷんまち」と読むように独特の発音の町名も少なくありませんね。
<逸見> そうです。国分町は政宗が築城する前に青葉山に城を構えていた戦国大名の国分氏の末裔が住んでいたところ。政宗は同じ発音ではいつまでも以前の領主を忘れないでいると考え「こっぷんまち」といわせたとされています。また、清水小路は「すずこうじ」と発音しましたが、清水は中国読みですずというためです。その他にも独特の町名があります(別表2参照)。なぜわざわざこのように発音したかというと、よそ者と地元の人を区別するためだったといわれています。こういう例は防衛のために藩政時代に各藩で共通だったようで、方言が発達した理由でもあったといわれています。幕末、お互いに相手の方言が分からなかった薩摩と仙台は英語で会話したそうですよ(笑)。
しかしながら、大正中期以降になると小学校で漢字通りの読みを教えるようになり、しだいにすたれていきました。
<逸見> 歴史的町名の由来やそれにまつわるエピソードを伺っていると、藩政時代の人々の暮らしを思い浮かべることができますね。
ー藩政時代の町名は、政治、経済、そして町の発展や生活に密着してできたものばかり。名前の付け方もとても理に叶っていると思います。例えば、仙台藩の米蔵は現在の気象台の近くにありました。当時、塩釜から苦竹まで運河を掘り、米を船で運び、苦竹から牛の背に乗せて米蔵まで運んだのです。ですから原町のあたりに牛道があり、小田原には牛が住む小屋が並んでいました。そこが牛小屋町と名付られました。藩政時代の風景が目の前に浮かんできませんか?現在一部で使用されているような記号化した町名ではできないことです。
このたび、藩政時代から続いてきた町名が道路の通称名として使用することになりましたが、これを機に仙台の歴史についてふれてみてはいかがでしょうか?
(※別表1)数で表される名称
仙台三清水 柳清水(やなぎしみず)、鹿子清水(かにこしみず)、山上清水(さんじょうしみず) 仙台七坂 石名坂(いしなざか)、大坂(おおさか)、扇坂(おおぎざか)、元貞坂(げんていざか)、新坂(にいざか)、藤ヶ坂(ふじがさか)、茂市ヶ坂(もいちがさか) 仙台七崎 青葉ヶ崎(あおばがさき)、鴉崎(からすざき)、鹿島崎(かしまざき)、藤ヶ崎(ふじがさき)、玉田崎(たまたさき)、松ヶ崎(まつがさき)、茂ヶ崎(もがさき) 仙台八小路 大名小路(だいみょうこうじ)、清水小路(しみずこうじ)、野干小路(やかんこうじ)、狐小路(きつねこうじ)、元寺小路(もとてらこうじ)、桜小路(さくらこうじ)、谷地小路(やちこうじ)、連坊小路(れんぼうこうじ)
(※別表2)生っ粋の仙台っこは、こう発音していました
霊屋下 おだまやんた 御鍛冶屋前 おがんちゃめ 片平丁 かだっしゃちょ 北目町 きたんまち 勾当台通 こどのでえどおり 国分町 こっぷんまち、こっぽんまち 米ヶ袋 こめやふくろ 清水小路 すずこうじ 土樋 つっとい 南町 みなんまち 遺水丁 やりみんちょう
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